お市の方 戦国一の美女にして覇王信長の妹、落城の炎に散る
天文16年(1547年)? 〜 天正11年4月24日(1583年6月14日) 享年37歳
お市の方(おいちのかた)は、天文16年(1547年)、尾張国の武将織田信秀を父に、織田信長を兄として生まれました。その美貌は戦国一の美女と謳われています。
永禄10年(1567年)、お市二十一歳のとき、兄・信長の命により近江(滋賀県)の浅井長政と結婚します。織田家と浅井家の同盟を結ぶための政略結婚でした。しかし、ふたりの仲は睦まく、長男、万福丸をはじめ、長女茶々、二女初、三女小督(お江与)の他、次男、万寿丸と五人の子をもうけています。
元亀元年(1570年)、信長は、浅井氏と盟友関係にある越前(福井県)の朝倉義景への侵攻を開始します。浅井、織田の同盟成立に際して付した一文、「同盟がある限り、織田は朝倉に進軍せず。また、どのような事態でも朝倉に進軍する時は必ず一報をいれる」との約束を信長が一方的に反故にしたものです。
これに怒った浅井氏は、織田軍を背後から急襲。信長は決死の退却で命からがら近江を脱出します。 - 金ヶ崎の退き口。
ここに、浅井、織田の同盟関係は断絶し、元亀元年(1570年)6月28日、姉川河原で織田・徳川連合軍二万八千と、浅井・朝倉同盟軍一万八千が対峙しました。結果は、浅井・朝倉連合軍の敗北でした。
天正元年(1573年)には浅井長政の居城、小谷城が信長の手によって陥落し夫・長政は自害し、浅井氏は滅亡した。お市は、三人の娘、茶々、初、江とともに織田家に引き取られる。しかし、長男の万福丸は捕われて処刑され、次男の万寿丸は出家させられる。
その後は清洲城にて兄信長、信包の庇護を受け、三人の娘たちとともに九年余りを平穏に過ごしたという。このときの兄信長のお市親子に対する待遇はたいへん厚く、常にお市親子のことを気にかけていたと云われます。
天正10年(1582)、6月、本能寺の変で信長が横死する。そして、信長を討った明智光秀を破った羽柴秀吉が台頭してくる。
同年、お市は清州会議で信長の後継者に決まった三法師の後見役であり、信長の三男でもある織田信孝の仲介で織田家の重鎮、柴田勝家と再婚する。これは、信長亡き後の天下を奪取しようとする秀吉に対する対決姿勢の表明であった。
翌・天正11年(1583年)、夫勝家が羽柴秀吉と対立、織田勢力を二分して激しい戦いとなる。勝家と秀吉は近江国伊香郡(滋賀県伊香郡)の賤ヶ岳附近で激突 - 賤ヶ岳の戦い、前田利家軍の突如戦線離脱、佐久間盛政軍の壊滅により、ついに勝家は越前・北ノ庄城へと敗走した。
北ノ庄城は、前田利家を先鋒とする秀吉の軍勢に包囲され、お市の方は、夫・柴田勝家とともに自害した。享年三十七歳。
